【ゆたぼん】学校不要?教育についてアーティストが考えてみた

こんにちは!一応義務教育は終えた、ただの自称アーティストおじさんの太田まさあきです。


無事中学生の年齢になられたらしい不登校Youtuber、ゆたぼん。そのお父様が衆議院選に出馬するそうですね。宿題をするのが嫌で不登校になられたご子息にあやかってか、学校に行かない選択肢を作りたいのだとか。

祖父が教師をやっていたこともあり、教育者になりたいと一時期思っていたこともある僕ですが、そんな僕から見て果たして今後の教育はどうあるべきなのか、変わるべきなのか変わらないべきなのか、存続するのか無くなるのか、そのような事を考えてみたいと思います。


僕は喫茶店をやっています


が、とりあえずメニューを作らないといけないし、お会計の計算も出来ないと話になりません。もちろん今どきはiPadでポチポチするだけで自動計算してくれるのですが、万が一充電が出来ていなかったり、故障したりなんかした際には、自分で計算が出来ないとえらいことになります。あと料理はすぐ覚えれますし、接客も特に教育されなくても普段の生活で身につくでしょう。もちろん最低限の話です。もっとしっかりしようと思ったらやはり料理学校に行ったり、どこかで修行したりする必要があります。僕がよく参考にさせていただいている料理系Youtuberの方たちは、ものすごく修行を積まれておられる事と思い、尊敬しながら拝見しています。接客もその道のプロに教えを請うことが必要になることがあるかも知れません。あとは皿洗いや掃除などですね。微分積分なんて一切やっていません。


もっともこれらは喫茶店での話であって、他の業種なら料理や接客は必要ないこともあるでしょう。今はIT業界が最先端ですので、AIを作る仕事などだと料理なんて覚えなくても生きていけるでしょうし、研究者などになるとずっと研究室にこもりっきりという事もあるでしょうから、さらにコミュニケーションの必要が減るでしょう。


ただいずれにせよ


読み書き算数は出来るように


ならないとお話にならないですね。ほとんどのあらゆる仕事で必要かと思います。今でも教育が行き届いていない国などもありますが、やはりそういった所では貧困問題が目立っているようです。教育が行き届いていないから貧困なのか、貧困だから十分な教育が受けられないのか、いずれにせよ母国語の読み書きすら出来ないお子様もおられるようです。

読み書き算数が出来ないとどうなるか。今どきはなかなか想像もつきにくい話ではありますが、昔ならここ日本でも読み書き算数の出来ない人はたくさんおられた事でしょう。農作業、服飾、絵画、工芸、などは読み書き算数が出来なくとも誰かに教えてもらえば出来るかと思いますが、今どきは読み書きが出来ないと契約書も読めないし、誰かに騙される恐れが生じてきます。算数が出来ないと、お給料の計算も出来ずに生活設計を建てられず、またこちらも誰かに良いようにこき使われる可能性もあります。適正な給料かどうかも判断出来ないでしょう。


昔なら誰でも出来るような仕事をみんながしていたわけですから、当然そこに対する不満などはまだ少なかったかも知れませんが、今はさらに事情が異なっています。機械が発達したために誰でも出来る仕事はどんどんと減り、頭の良い人がとびぬけてお金を稼ぐようになり、貧富の格差はどんどんと広がってきています。真っ当な仕事につけなかった山賊や盗賊などは暴力でお金を得ようとしましたが、今でも仕事につけないとこうした人が出てくるでしょう。いわゆる「かけこ」などは、手っ取り早くお金を稼ごうとする人の典型ですね。生きるためにお金を稼がなければならないわけですから、その手段が悪質化してしまうわけです。


そのため、誰でも彼でもお金を悪い方法で稼ぎ始めると困りますから、


教育は受けさせる側のためでもある


わけです。だから読み書き算数だけでなく、


本当はもっと色々なことも教えないといけない


わけです。


こうした当たり前の事をつらつらと書き続けても疲れるだけですので、このあたりで方向転換します。


そもそもなぜゆたぼんのようなお子様が現れたのか。ゆたぼんいわく、宿題をやりたくない、ということだそうです。いいなりになるのが嫌なのだそうです。一昔前なら考えられないことです。


学校に行かないと親から叱られ、宿題を忘れたら先生に殴られていた昭和時代


のおじさんからしてみたら、とても考えられないことです。ですが、僕は昭和よりも今の寛容な社会の方が好きです。


何事にも理由がしっかりしている方が、やる気が出るものです。なぜこれをしなければならないのか、なぜ先生の言うことを聞かなければいけないのか、そうした理由がはっきり納得出来るるなら、何も問題は無いのです。ギターでもそうです。気の向かない基礎練習やしょうもない曲をひたすら行うよりも、好きな曲で練習するほうがはるかにモチベーションが上がりますし、効率的でしょう。ところが昔は、そうした考えは少数派だったのです。とにかくトップダウン、上の人の言うことは聞け、理由すらよく分かっていない人の言うことでも無理やり聞け、という風潮だったのです。これは、非合理的です。


馬でさえ乗る人を選ぶ


というのに、


人間が上に立つ人間を選べない


のです。これは、まったくもって嘆かわしい話ですが、これが今の社会です。お金を稼ぐには、上司の言うことを聞かなければいけません。たとえ気に食わない上司でも、上司です。たとえ仕事のできない何故出世したか分からないような上司の言うことでも聞かなければいけません。なぜなら、上司だからです。


とは言っても、そうした風潮はだいぶ少なくなってきた印象です。優秀なベンチャー企業が優秀な部下をしっかりとした待遇で扱うといった話もよく聞きます。また最近では、上司すら必要のない個人事業主という選択肢もあります。クラウドワークなどですね。


昔は年功序列でしたが、今は実力主義が広がってきています。優秀な人はより良くなり、その反対は言わずもがな。今の時代機械がどんどん発達していきますから、体力がいくら合っても人間のする仕事は減っていきます。


機械でも出来ない仕事が、これからのトレンド


です。そうした時代に必要な教育とは何か。


時は戦国時代、織田信長が本能寺にて亡くなった年は


いちごパンツ(1582年)


ですが、果たしてそのような事を試験に出してまで生徒に覚えさせる必要はあるのか。そんな事を覚えている間に、AIはどんどん進化していって、人間が太刀打ちできなくなっていきます。人間はAI以上の仕事をしなければ行けないというのに、なぜいまさらそのような丸暗記をしなければいけないのか。そうした事を、教育庁は本当に考えているのか。そうした事を思うと、ゆたぼんの行動を頭から否定できない自分がいることに今気づきました。こういう事を考えていると、本当に学校は必要なのか、という考えに駆られるのは至極当然のことと思います。


とりあえず


教育はもっと減らせるんじゃないか


とは思いますね。


もっともこれはゆとり教育として採用されて一時期問題となり、今はやっぱりちゃんと勉強しなければいけないとして修正されたという流れがあります。日本の周りにはたくさんの国々がありますから、そうした所と競争して行く必要もあります。「2番じゃ駄目なんですか?」との言葉は記憶に新しいですが、そうした事もあって、やはり日本国として国民に十分な教育を与えるということは必要なのかも知れません。そうでないと海外と比べて日本の国力が下がる結果、より貧困が進むことにもなりかねませんからね。


Youtubeでとあるゲームクリエイターの方がおっしゃっていたのですが、なんでも海外のアドバイザーの言うことを丸呑みにした上司のためにゲームが売れなかったことがあり、嫌気が差して会社を移転されたそうです。このように


決定権は持っておきたい


ということはあるかと思います。この決定権を持っておくためには、やはり競争に勝たなければ行けません。そうでないとわけのわからない自国の事しか考えていない国の言うことを聞かなければいかない事となり、日本はえらいことになるかも知れません。こうした事情があるため、一概に教育を減らせばいいと言えないことが悩ましいところですね。


世の中善人だけでは無い


ですからね。


まぁ


あれですね


。。。


難しい話を扱ってしまった


。。。


。。。


おっともうこんな時間だ。テッテレー。それでは良い夢を。

太田まっさ

京都のシンガーソングライター、太田まさあき。

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